こんにちはスナです。
今回は私がうつ気味だった話を書きたいと思います。
今から思いますと2つの理由があったと思います。話が長くなりますので2回に渡り書かせて頂きます。
長男がお腹にいた頃の私は変な勘違いですが、私が頑張って道を開けば子どもは立派な子になれると思っていました。(今ならバカだとわかります)
マタニティビクスに入りまだ生まれてもいない我が子の為にママ友を作り、最新の子育てや回りのママと同じようにと頑張っていました。
長男が保育園に入り仲の良い6人のママ友のグループができました。長男が楽しく通えるようにと本当に一生懸命やりました。
長男が小学校に入り、3年生ではじめたクラブチームが少しずつ私をかえたんですね…
最初に入ったクラブチームは親が私の時代の中学の部活みたいでした。親が親に怒られ、子どもの悪いこともコーチではなく、同じ親に怒られるんですね…
弟や妹は連れてくると悪さをするからと言われ、まだ保育園だった次男を一人残し送り迎えや当番をしていました。
当たり前ですが、上手ければコーチたちに可愛がられ、目立たないし目が出なかった長男の扱いは…
私は疲れてしまいました。それでもそのスポーツをやりたいと長男が言うので、隣町のクラブチームに移りました。
だいぶ遠くにはなりましたが、そこでは次男も低学年でやれることになり色々楽になりました。
でもやっぱり他の親との付き合いは相当きついものがあり、当番や配車などの苦痛から生活面では徐々に外に出なくなりひきこもるようになりました。
6年生になりクラブチームの役員が決まり、結局、私の仕事が自由がきくということで時間の必要な大変な役につけられ、人間不振におちいりました。
1年がたちクラブチームを卒団し、次男はクラブチームには残らず教室通いになるとホッとしていたら…
長男の中学校ではその部活はクラブチームとセットになっていて、当番や配車がまたスタートしてしまいました。
挙げ句、長男は高校でもその部活に入り、私学ということもあってスポーツ入学した親と同じように当番・配車なとがありました。
それとクラブチームでもありましたが、私学の高校になると1年に2・3度は親(コーチ・監督)との食事会もありそれも私には神経が病む行事となりました。
今、考えると子どもの為と頑張っていたことが私を苦しめ、もしかしたら家族全員に嫌な思いをさせていたのかもしれません。
ひきこもりで全てにやる気がおきないのですが、子どものために外に出れば社交的に振る舞いママ友とのお付き合い、学校やクラブチームの役などは逃げたりせず、全てに参加していました。
今回はここまでにします。長文を読み上げて頂きありがとうございました。次回続きを書きますので宜しくお願いします。
【次回の記事】
うつ気味ではなくうつだった話。 - ミニマリストとお金と子育て
今回もご覧頂きありがとうございました。
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